初骨董 大江戸

千鳥笄



青空

本当に不思議なこともあるもんだ。
あなたと私、この広い大空をいくら飛び回っても一度も逢うことはなかった。
いくら叫べども声は届かず、お互い迷子のままここまで来てしまったようだ。
これってやっぱり残念至極!
この世に絶対だ!永遠だ!などとは無いと聞いていたが
これってある意味、永遠。
石神井の竜神に聞いても、あいつはもう目も見えず
腹をすかして寝ておるのだから、まっとうな判断はできぬ奴と言われた。
池の周りを何度も歩いてみたが、逢うはずもない。
これが現実。
今回はこんなものとして、そろそろ次の旅支度としよう。
そう心に決めて板場に水を流した。

帰り道、塚を横切ると青空の下、
さきいかを食いながら
乞食がニタニタ微笑んでいた。


[2013.05.01 Wednesday 14:26] [販売中の商品]

台なし 観音立像 北魏三年



[2013.03.07 Thursday 16:25] [販売中の商品]

聖徳太子図 残欠

 

[2013.01.31 Thursday 13:36] [販売中の商品]

太極図様器





始発なり

終電はすでに出てしまっていた。
俺は真冬の真夜中のホームに立ちつくしていた。
山はすっかり魔物たちのものになり、ぬえも怯えて先ほどより泣き叫んでいる。
俺は先ほど闇のゴミ商人から仕入れた、戦時中に使用されたと思われる瓶やコップ、母子を持たぬ乳房やら、先ほどタクシーの運転手を殴打して叩きのめしたフライパンをリックサック〜取り出して、独り取り残されたこの場所でそれらをながめていた。
明日の朝、町に行ってこの代物たちを売りさばくのである。
俺は何と言っても将来有望な天才商人である
ここからのし上がってやることは明白である
「けっ、けっ、けっ、けっ、けっ!!!」
俺のけたtamasii叫び声に驚いて、先ほどのぬえも逃げ飛んでいった。
立ちの悪いことである。
懺悔きかぬことである。
この世で阿呆ほど絶ちの悪い鳥はいない。
最近、町ではこの種の生物は増殖しておると聞く。
やっかいなことである。
近づかぬがよいことである。

この夜、俺という阿呆が独り始発を待っていた。
ほクソ笑みを闇に浮かべて。




 

[2012.06.07 Thursday 14:08] [販売中の商品]

竜頭ノ杖

 


詩篇 3 噴水公園

あの公園へ行こう。
夕暮れ、七色に輝く僕の背丈の何倍もの高さで噴水を噴き上げていた
あの噴水のある公園へ。
ガード下トンネルを抜けて左に曲がったところにあった
あの噴水のある公園へ。
夕方僕は彼女に手をつながれ病みかけた葡萄の弦のある家へ向かった。
そこには数人の僕のような子供ら。
無邪気にはしゃいでいた。
大概の子供は深夜彼らが夢の中の頃帰った。
僕とたけし君は背の高い琴のある部屋に泊った。
朝一、独りで着替えて朝食も取らずに葡萄の弦の下で彼女を待った。
朝もやバスの中はまだ数人の人。
ガード下トンネルを抜けて右に曲がったところで僕は見た。
雲の間に間、一筋の朝ノ光があの噴水のある公園に差しこんでいた。
噴水はソノ光に照らされ夕暮れのそれとは比べ物にならないくらい金色に輝き
その瞬間、一頭の龍がとぐろを巻きながら天に駆け上がっていった。
僕は本当に見たんだ。

あの公園へ僕は行こう。




商談中

[2012.04.09 Monday 11:39] [販売中の商品]

白磁青花壺





詩篇 2 手紙

白き真綿のその君にそっと手紙を送りませう
よろよろ歩く君の肩に手を置くと君はさらに傾きました。

白き真綿のその君にそっと手紙を送りませう
あの夏君は腐った梨に脚を取られドタドタになって帰ってきました。

白き真綿のその君にそっと手紙を送りませう
冷たい秋の雨にズブ濡れになって君は死神にあったと泣きだしました。

白き真綿のその君にそっと手紙を送りませう
久しぶりに陽だまりの縁側で脚をのばし君は蜜柑がおいしいとつぶやきました。

かぼそい木の橋を渡りながら今も君を見ている僕がいる。



18世紀 H: 25.5cm

有難うございました

[2012.01.31 Tuesday 17:28] [販売中の商品]

中国 西域 壁画図


詩篇1. 微笑
あの時、野垂れ死んでいたのか?
この道で俺は行き倒れていた。
寂しいのか? 苦しいのか?
腹が空いておるのか? 反吐を吐いておるのか?
一年四六時中、この道で這いつくばってモガイテいた。
時より腹が空いてウゴメイテいた。
野たうち回っていた。痙攣していた。
君がいない。 誰もいない。
一人もいない。 俺もいない。
向こうに炊き出しの列が見える。
夏の暑い日の突然の夕立でやっと目が覚めた。
君がとなりで微笑んでいた。

 
 

有難うございました

[2011.12.02 Friday 17:42] [販売中の商品]

古物ノチカラ Vol.1 阿弥陀仏 開元七年



此の街は恐ろしいことになってしまった。老若男女どいつもこいつも街を歩きながら二人にひとりは右手に七色に光る金銅仏を握りしめ、前かがみになって「ぶつぶつ。」と呟いて歩いておる。この国はとうとう神も仏もいなくなり末法の時代になってしまったようだ。なんと哀れ。なんと因果。憐れむべき情景が車窓する。若者達は感覚でこの時代では救われないことを悟り、ひたすら念仏を唱えているではないか。まるで千年も前のこの国の姿に戻ったようだ。恐ろしや平成の世の携帯曼荼羅。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。孫様金銅仏。極道占い師が今日の運気を届けなさる。かくゆう私は天王☆人。コリン☆人の大ファンである。おっと、そんなところに空也様から水滴の音とともに今日のお言葉が届いた。
「今日の貴方は65点。」空は曇天が広がる。

    大唐開元七年と記す。 719年 阿弥陀仏





有難うございました

[2010.10.20 Wednesday 18:03] [販売中の商品]

Ubu.9 黄瀬戸 狗犬



この商売を始めて民藝というものを知った。それまでこの国は、哲学というものを持たぬ国と思っていた。中国哲学であるとか西洋哲学を、少し生真面目な者は学生時代に学び、いつしかそれも英語が話せぬように日常に埋没して逝った。元々民藝などに縁も所縁もない私から見ていると、どうも民藝家というよりは唯の民芸好きのコレクターばかりで、やれ味っぽい木仏だとか捻くれた徳利を舐め擦っている様は隠居爺のようである。実に哀れなことである。希有な民藝を所有することばかりに終始し、後生大事に抱え込んでいる。実に馬鹿馬鹿しいことである。私は何も持たずに育ってきた。そんな者がそれでも傍に置いてそれを灯りに進んで行くことができるのが「古物のチカラ」なのだから、これからの時代を生き抜くヒントがそこにある。つまり数の問題ではない。この十年この商売を通して、嘗ての上流階級といわれた方々の子孫達と逢ってきた。この国にはもう御大尽といわれる方々はいないのである。だからこそせめて古民藝商人ぐらいは太鼓持ち根性など捨てて、貧なるこの時代を心豊かに生きる術を伝えることのできる商人でいただけたら、買い出し屋冥利に尽きるというものだ。ツメ五本とはいかないまでも、このだらけた崖を登り切るにはツメ二本ぐらいは持ち合わせている獅子でなくてはならない。



黄瀬戸 狗犬 江戸中期 彫銘 高20cm
有難うございました

[2010.07.02 Friday 15:34] [販売中の商品]

Ubu.8 信楽壺



人生に成功するなどという事は容易いことである。そんなにも容易いのであれば、お伝えする事は甚だ遺憾なことではない。人生を成功する。ということは要するに自分にとっての生きる術を会得した者のことをいう。そのような者は一見なんの変哲もないおやじでヘラヘラしたりもしていることもあるので、すぐに見分けることは難しいことである。唯どういう訳かやはりそのような者を寂しいからなのか、その遍歴を身形や言語語尾に垣間見せたりするのである。またそれに類するものを自分の傍に置きたくなるものである。術を知る。つまりは歳半ばを過ぎて自信の天命らしきものに触れ、それなりに生きている者だから、何となく肩の力も抜け物腰も軽くなんかいい感じ。そうだここいらでなんか自分に相応しいものを象徴を持つことにしよう。税金対策なんか考えたりして領収書を貰うなどということは当たり前だのクラッカー。セコサは元よりのことである。そうだ俺は歳半ばを過ぎてコツつまりはツボを心得たのだから俺の壺を持つことにしよう。そういえば町はずれにあった骨董屋の店先に古汚い信楽の壺が飾ってあった。あれこそが俺の壺かもしれぬと思い、週末の夕方に散歩がてらに訪れるのは大概のものの衝動であろう。そういうことならば、つまりはその前に逆バリ戦法。どうせそのくらいはなるはずの男であるのだからまずは俺の壺を持つことにすればよい。その壺にただの道ノ草を差してもよろしいし、30年ぶりに我が家に訪れる昔の同級生の出迎えの時に、左足をその壺に差し込み「俺はやっと壺男になった!」と遠方の友を迎えた時には、「やっぱりこいつはタダ者じゃなかった、きっとどえらい山を当てたのだろう。」ということでその話はすぐに田舎の仲間で噂ノ話となり、今度開かれるという35年ぶりの同窓会では一番人気当たり前だのクラッカー。成功とはこんなものだ。

信楽壺 室町末 高35.5cm
有難うございました

[2010.06.03 Thursday 17:52] [販売中の商品]

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