初骨董 大江戸

Ubu.8 信楽壺



人生に成功するなどという事は容易いことである。そんなにも容易いのであれば、お伝えする事は甚だ遺憾なことではない。人生を成功する。ということは要するに自分にとっての生きる術を会得した者のことをいう。そのような者は一見なんの変哲もないおやじでヘラヘラしたりもしていることもあるので、すぐに見分けることは難しいことである。唯どういう訳かやはりそのような者を寂しいからなのか、その遍歴を身形や言語語尾に垣間見せたりするのである。またそれに類するものを自分の傍に置きたくなるものである。術を知る。つまりは歳半ばを過ぎて自信の天命らしきものに触れ、それなりに生きている者だから、何となく肩の力も抜け物腰も軽くなんかいい感じ。そうだここいらでなんか自分に相応しいものを象徴を持つことにしよう。税金対策なんか考えたりして領収書を貰うなどということは当たり前だのクラッカー。セコサは元よりのことである。そうだ俺は歳半ばを過ぎてコツつまりはツボを心得たのだから俺の壺を持つことにしよう。そういえば町はずれにあった骨董屋の店先に古汚い信楽の壺が飾ってあった。あれこそが俺の壺かもしれぬと思い、週末の夕方に散歩がてらに訪れるのは大概のものの衝動であろう。そういうことならば、つまりはその前に逆バリ戦法。どうせそのくらいはなるはずの男であるのだからまずは俺の壺を持つことにすればよい。その壺にただの道ノ草を差してもよろしいし、30年ぶりに我が家に訪れる昔の同級生の出迎えの時に、左足をその壺に差し込み「俺はやっと壺男になった!」と遠方の友を迎えた時には、「やっぱりこいつはタダ者じゃなかった、きっとどえらい山を当てたのだろう。」ということでその話はすぐに田舎の仲間で噂ノ話となり、今度開かれるという35年ぶりの同窓会では一番人気当たり前だのクラッカー。成功とはこんなものだ。

信楽壺 室町末 高35.5cm
有難うございました

[2010.06.03 Thursday 17:52] [販売中の商品]

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