初骨董 大江戸

Ubu.1織部大皿



この度、初骨董大江戸としてWEBSHOPを開店することになりました。
力を抜いて長く続く作業が出来たらと思っています。

ところでこの大皿と出会ったのは宇都宮のとある旧家。
近くを流れる川一面に鯉のぼりが泳いでいた頃と思います。
緑釉の跡がとても美しく、何よりこれほど大きな織部を私は見たことが無く、
少し興奮した買取値段をご主人にお伝えしたと思います。

このような仕事をしていて思うことは、誰しもがクリエイターとして
自分の個性を表現できる才能を持ち得ていれば良いのですが、現実はそう甘いものでなく
所詮骨董屋などという仕事は、何の取り得もないわりには自己主張が強く、
それが故に何をやってもうまくいかずころげ回って来た者たちの集まりなのだから、
望まれるような才能とは縁遠く、無い頭をふりしぼって近くにいる者同士で抜きあっている
様なありさまです。
私などという者はもっと始末が悪く、人の墓穴を掘り返しては故人の金品に有り付いたり、
傷んだ土塀を見つけては小踊りしながらむやみに体当たりして、
額に血を流してはそこの主人にうす気味悪く微笑むものだから、
塀を壊されることもさることながら目の前で起きている事象を一刻も早く取り除きたく、
先程より目の前の男がさけんでいる「フルイモノ。」という念仏どおりに、土塀の裏にある
蔵の奥から埃かぶった黒い箱を差し出し「もうわかったから、これでお帰りなさい。」
と目で訴えるのである。
「私の息子も生きていれば彼の頃か。」 
同情とはその様なものである。差し出された黒箱を持ち帰り、歳老いて
やっともらった妻に差出し、機嫌をとることしかできぬ下手者の術である。
「創る」という能力と「乞う」という術。
このまったく出来の違う二つが不思議と次の作業で一致することとなる。
「伝える」という作業においてである。
その下手者がかかえた黒箱の中に入っていた傷んだ古物がともすると、まともに生きて
ゆこうとする者たちに力を与えたり、少し弱っている者にはその魂を救うことすらある。
まったくもって不思議な出来事である。
古物の力は慈愛に満ちる。私もその力で救われたことがある。
こんな時代だからこそ、安い算術は捨てて其れを感じながら、まともに生きていく人達に
「伝える」ことのできる古物屋でありたい。
必要なものはいささかな眼を凌駕する強い志だ。
その時、薄汚れた古物屋でもこの織部の大皿に乗って過去の天空を飛び廻ることができる。 
そして今一度、私もそこで小踊り。
―店主―





織部大皿 江戸後期 金直し 箱なし 径48
御売約



[2009.08.20 Thursday 18:51] [販売中の商品]

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