初骨董 大江戸

Ubu.7 デルフト染付壺 


この壺が中国青花だったら本当に良かった。
この壺が中国青花だったらやっぱり良かった。
この壺が中国青花だったら絶対良かった。
この壺が中国青花だったらとにかく良かった。
あなたはやはり地道に生きるべきだ。

デルフト染付壺 康煕写 18世紀前 箱あり
有難うございました

[2010.03.05 Friday 14:07] [販売中の商品]

Ubu.6 富岡鉄斎 解剖図 



今日は人間ドックの日である。妻が病気をして以来、妙に体のことが気になる。大抵40才を超えてくると「老い」というものが現実となり、肉体が気遅れしてくることを感じ始める。実に悲しいことである。実感して思うことは人の体は水槽の様なもので、いつか終いには濁り腐りはてるのである。真に悲しいことである。
「これはいかん。」と少しやる気のある者は煙草を止めてみたり、体を動かしてみたりしてわずかばかりの抵抗を試みる。私も同じである。生きるということは、か弱きことなのである。
最近の医学もいかんと思う。早期発見などといって現代人を検査漬けにする。元々現代人などという者は小心者の代名詞みたいなものだから、「再検査」などと宣告されると慌てふためき、気を失いかけそうになる。そうなると体のことが心配で後生大事とばかりに石橋をつつきだすのである。
益々世間がせまく成り下がる。ひきこもりも甚だしい。これこそ悲しいことである。こんなことであるなら100年前の鉄斎先生の頃のように、なにかと大雑把で「これは不治の病というもので天命です。」とか「もう寿命だからしかたあるまい。」とか最末期に言われた方が気が楽である。
場所によっては長生きしすぎると山に捨てられることもあるのだから、それなら「私は里で死ねて幸せ者だ。」と孫に囲まれ息を引きとることとなる。
死は突然訪れて来た。まるで隣の晩ごはん状態だ。
私は「うーん。」とうなずいて以下の通りにすることに決めた。
「生きる」などという前向きで野暮なことはやめて「死ぬ」ことに決めてみる。自分にとって最良の死に方をイメージしてみるのである。そのイメージに向かって、明日から後ろ向きでアプローチして行く。「死ぬ」と決めているのだから、なにをやっていても納得ゆく。ましてはその姿に近づいてゆけるのだからなんだかポップでファンキーな気分である。
「おまえはもうすでに死んでいる。」なんてすごいキャッチコピーなのかしら。「俺はもうすでに死んでいる。」なんだか楽しくなってきた。
もう一度叫ばせてくれ。「俺はもうすでに死んでいる。」
俺のレクイエムが鳴り始めた。なんとかましな人生になりそうな気がする。「007は殺しの番号」そこで最後に決めポーズ。キムヨナ程美しくないが、なんかイケてる気がする。ニューヒーローの誕生だ。
「大変だ!」大事なことを忘れていた。今日は胃カメラを初めて飲む大切な人間ドックの日だった。朝一番で提出検便を取るのを忘れていたのだ。
俺はすばやく半ケツ出して便所に駆け込む犬のイメージ。




正宗氏所蔵 富岡鐡斎 解剖図
―70万円也―

[2010.03.02 Tuesday 14:31] [販売中の商品]

Ubu.5 北蓮蔵 



この10年私はといえば、毎日山手線のように東京近郊をぐるぐる回っていた。
投げ無しの30万で買った貨物に乗り込み、「ヤマノテ」「ヤマノテ」と呪文を唱えながら回るもんだから、下町といわれるスラム街には目もくれず、山手線で云うところの左半分ばかり走るもので、しまいには体が左側に傾き、首まで左に曲がってしまう始末、昼間からよだれ眼ヤニなどを左方から垂れ流している。
最近では左耳から変な汁が流れ出し、人として末期的状態である。
これではいかんと思い、これからは「中国だ。亜細亜だ。」と20年前に聞いたようなフレーズを叫び、
明治通りにある格安アジアツアーの旅券を大人買いして旅人になった。
これで私も「ヤマノテ」の呪縛から解き放たれ、一人前の壮年になることができよう。頑張れば救われるのである。やっと安心できたのでエコノミーで前かがみになった姿勢を矯正した瞬間、左耳からまた汁が出てきた。
それを嗅ぎつけた蠅が、私の頭を山手線のように何度も周回して左耳に止まり
「もう腐っておる。」とつぶやいた。
北蓮蔵 外国風景 油彩 25F
有難うございました

[2010.01.30 Saturday 14:59] [販売中の商品]

Ubu.4 六朝時代 俑


彼が枕元に立った。
笑うでもなく、泣くでもなく、ひどく疲れているようだった。
顔は土枯れた土塀のようにかせていてひどく渇いていた。
心なしか顔すじに銀化のように涙が光っているように見えた。
幸いである。もうすべて終わったのである。
幸いである。罪はすべて浄化され、すべては次に向かっている。
幸いである。あなたは救われ、新しい生命が始まろうとしている。
幸いである。もう一度あなたは、その銀化の粒から始めるのである。
悔むことはない。悲しむことはない。
驚くことはない。恐れることはない。
辛い果てしない道の始まりであるが、しかしそれは皆同じである。
そうあなたも同じである。すべたは新たに始まろうとしている。
この銀化の粒から。                                     ―店主―
俑 六朝時代 箱あり 高47
有難うございました


[2009.12.11 Friday 13:52] [販売中の商品]

Ubu.3 瀬戸大徳利


因果な物をもらってきてしまった。
こんなにでかい徳利を肩に担いですでに2,30分たつが、もう四十肩が悲鳴をあげておる。
知らぬふりして家にもち帰ったとしても、六畳一間の我が家に置き場などなく、
知らぬふりしてすでに妻の履くことのなさそうな靴が散乱している玄関に置いたとしても
朝六時から、妻の「なんなのこの壺は」という絶叫に起こされ、「壺ではないよ。徳利だよ」
などと話してみたところで、その後のことは目に見えておる。
道の野花を集めて活けたところで花うつりの悪さは、美意識の薄い私でも想像がつく。
それではと酒を蓄めて晩酌でも洒落こもうとしても、私は酒に関しては全くの下戸。
それと私が赤児のとき別れた私の名の知らぬ父は、アルコール依存症で身をおとした男である。
今は千葉の名の知らぬ寺で無縁仏になったと聞いている。
このままこの徳利をもって帰ったとしても、妻の悲鳴が耳に鳴る今、私としては「うーん」と考えた挙句
そうだ、その名の知れぬ父が眠る名の知らぬ寺に、その徳利に酒を蓄めて奉納することで、
「彼の現世での仕業を赦してやってくれ。」と参ることとしよう。
なんて私は親孝行な息子なんだ。それで彼も浮かばれよう。
妻に叱られることもない。
何より私が真の親孝行であると自覚できる。これは私にしてみれば史上最大のビックアイデアだ。
そして少しさびた自分の体を軽くひねり、今来た道を逆方向に少しはにかんで彼の眠る名の知らぬ寺
に向かった。
―店主―

瀬戸大徳利 江戸中期 箱あり 高43×幅24,5cm
有難うございました



[2009.12.07 Monday 13:20] [販売中の商品]

Ubu.2 棟方志功


私は言葉の力を信じる。
作家の叫びとしての言霊。
志功も彼の「真理」を見い出すため、そのド真中で何度も叫んだ。
その魂の形だ。
我々も時として、その言葉を握りしめて自分というド真中で何度も参る。                           
―店主―

棟方志功 「眞理」 軸装 鑑定登録証 箱あり
―70万円也―



[2009.09.30 Wednesday 17:24] [販売中の商品]

Ubu.1織部大皿



この度、初骨董大江戸としてWEBSHOPを開店することになりました。
力を抜いて長く続く作業が出来たらと思っています。

ところでこの大皿と出会ったのは宇都宮のとある旧家。
近くを流れる川一面に鯉のぼりが泳いでいた頃と思います。
緑釉の跡がとても美しく、何よりこれほど大きな織部を私は見たことが無く、
少し興奮した買取値段をご主人にお伝えしたと思います。

このような仕事をしていて思うことは、誰しもがクリエイターとして
自分の個性を表現できる才能を持ち得ていれば良いのですが、現実はそう甘いものでなく
所詮骨董屋などという仕事は、何の取り得もないわりには自己主張が強く、
それが故に何をやってもうまくいかずころげ回って来た者たちの集まりなのだから、
望まれるような才能とは縁遠く、無い頭をふりしぼって近くにいる者同士で抜きあっている
様なありさまです。
私などという者はもっと始末が悪く、人の墓穴を掘り返しては故人の金品に有り付いたり、
傷んだ土塀を見つけては小踊りしながらむやみに体当たりして、
額に血を流してはそこの主人にうす気味悪く微笑むものだから、
塀を壊されることもさることながら目の前で起きている事象を一刻も早く取り除きたく、
先程より目の前の男がさけんでいる「フルイモノ。」という念仏どおりに、土塀の裏にある
蔵の奥から埃かぶった黒い箱を差し出し「もうわかったから、これでお帰りなさい。」
と目で訴えるのである。
「私の息子も生きていれば彼の頃か。」 
同情とはその様なものである。差し出された黒箱を持ち帰り、歳老いて
やっともらった妻に差出し、機嫌をとることしかできぬ下手者の術である。
「創る」という能力と「乞う」という術。
このまったく出来の違う二つが不思議と次の作業で一致することとなる。
「伝える」という作業においてである。
その下手者がかかえた黒箱の中に入っていた傷んだ古物がともすると、まともに生きて
ゆこうとする者たちに力を与えたり、少し弱っている者にはその魂を救うことすらある。
まったくもって不思議な出来事である。
古物の力は慈愛に満ちる。私もその力で救われたことがある。
こんな時代だからこそ、安い算術は捨てて其れを感じながら、まともに生きていく人達に
「伝える」ことのできる古物屋でありたい。
必要なものはいささかな眼を凌駕する強い志だ。
その時、薄汚れた古物屋でもこの織部の大皿に乗って過去の天空を飛び廻ることができる。 
そして今一度、私もそこで小踊り。
―店主―





織部大皿 江戸後期 金直し 箱なし 径48
御売約



[2009.08.20 Thursday 18:51] [販売中の商品]

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